「祭りと工事区」 神川靖子(浜松市天竜区)
「水窪祭りが来るとトンネル工事の頃を思い出しますね」
そう言ったのは浜松市水窪町に住む入口忠男さん(74)。水窪祭りは9月に開催される地域色豊かな行事。新型コロナウィルスの影響で2年開催されなかったが今年は規模を縮小して開催された。
1974(昭和49)年に飯田線第一久頭合隧道の付け替え工事が行われた当時、国鉄の岐阜工事局に勤務していた入口さんはこれに事務係として携わっていた。向市場駅には事務所とその付近には作業員の寮が置かれた。町が祭りで浮かれている時にもトンネルに入っていく作業員たちは、歌をうたっては互いを労ったという。
「飯田線の新ルート区間、城西駅と向市場駅の間には鉄道構造物として珍しいものが二つあるけれどそれがわかりますか?」。入口さんに問いかけられ、その一つは私にも想像がついた。「第六水窪橋梁ですよね?」。通称渡らずの橋と呼ばれる鉄橋は鉄道ファンの間で知られたスポットだ。「そのとおり。もう一つが第一久頭合隧道、私たちが工事を担当した隧道なんです」
佐久間駅から大嵐駅までの間にあった豊根口駅、天龍山室駅、白神駅は55(昭和)30年に廃止され、駅舎は線路やトンネル、鉄橋と共にダムに沈んだ。そして新ルートは水窪川沿いに迂回する形で切り替えられ、相月駅、城西駅、向市場駅、水窪駅が新たに開業した。
飯田線ものがたり(2017年新評論)では、ダムに沈んだ駅区間の付け替えがあったことは紹介できたが、新ルートにおいてさらに付け替え作業があったことにはふれていない。まさに第一久頭合隧道工事がそれだった。
第一久頭合隧道はそもそも中央構造線と天竜川断層という二つの断層地帯の影響を受け岩盤が脆かった。68(同43)年に第一久頭合隧道のアーチコンクリートに開口亀裂が増大していく様子が確認され、運転保安上危険な状態と判断された。
そこで崩落が心配される箇所の城西側から新しいトンネルを掘ることとなり、安全な箇所はそのまま利用する、という工事が計画された。つまり途中で新トンネルと現行トンネルとをドッキングさせるというわけだ。入口さんが所有する資料によると電化区間において途中で新トンネルと旧トンネルをドッキングさせるということは前例がなかったという。
工事には夜間作業があった。作業員は始発の上り電車の経過を確認して寮に帰り、皆が夕飯を食べる時間にトンネルに入っていった。作業員の一人が当時流行っていた歌謡曲のメロディーに自作の詞をのせて歌った。入口さんは大切にしている資料のページを開いて「ここにも載せているんだよ」と懐かしそうに笑った。
その歌詞のタイトルは「祭りと工事区」とつけられていた。
「仕事に追われて 青色吐息
村の祭りが心に残る
さわぎを尻目に トンネルへ
入る我が身のわびしさよ」