ふたたび飯田線の旅へ
神川靖子
「執筆前にこれに乗るべきでしたね」。飯田線ものがたりの共著者である太田朋子さんが隣の座席でつぶやいた。私が秘境駅号に乗ったのはちょうど飯田線秘境駅号が10周年を迎える年だった。
切符は発売の10時の時報とともに即完売。キャンセル待ちでなんとか手に入れることができ、私はこの人気ぶりに圧倒されていた。
そもそも駅に大勢の人が降りても秘境の魅力を味わうことができるのだろうか。それが二人の共通の意見だったはず。ところが先に秘境駅号を経験した太田さんはすっかり気持ちが変わっていた。「きっと楽しめるはずですよ」。太田さんの言葉どおり、乗り込む前からホームはお祭りのような雰囲気で私の気分も高揚していた。
この日の秘境駅号は駒ヶ根駅から出発し、終点は豊橋。秘境駅といわれる駅以外にいくつかの駅に停車する。
伊那田島駅では林檎が、飯田駅ではお菓子がお土産として振る舞われ、平岡駅では自治体の物産市が開かれていた。沿線地域住民も運営に参加している様子だ。各駅を通過するたびに駅職員が笑顔で見送ってくれる。次の駅ではまた何が待っているのだろう。
長野、静岡、愛知へと飯田線上にひとつに繋がる特別な空間。そして何よりも乗務員によるユーモア溢れる「おもてなしぶり」に普段の飯田線とはちがう魅力を感じ、私はすっかり引き込まれてしまった。
興奮している私に太田さんが「ちゃんと車内アナウンスも聞いていてくださいね」と笑いかけた。私ははっとして聞き漏らさないよう耳を傾けた時、小和田駅あたりでこんな案内が流れた。
「昭和32年8月、小和田と大嵐間にある第一西山隧道で大規模な土砂崩れが発生しました。約1ヶ月間、小和田と大嵐区間は不通となり、当時の国鉄は青函連絡船の航海士を呼び寄せて船で乗客を代行輸送しました」。太田さんがすぐに「知っていましたか?」と言わんばかりに私の顔を見つめた。沿線の取材担当だったにもかかわらず私は首を横に振るしかなかった。
トンネルを出ると東京駅を模したあのかわいい駅舎が車窓から見えた。大嵐駅だ。この時の私は以前、付近の鷹巣橋から見えた奇妙な階段のことを思い浮かべていた。佐久間ダム湖の水が引いた時に姿を現すあの階段がその代行輸送時に利用されたのではないだろうか、そんな事を考えていたのだ。
秘境駅号を降りて数日後のこと、私はやはり大嵐駅の鷹巣橋の真ん中に立っていた。やり残した飯田線の旅がまた始まるような予感がしていた。
続きは2022年5月10日発行の三遠南信Biz5月号に掲載します
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