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越境情報紙「三遠南信Biz」

創刊準備第1号より

塩沢組子を世界のアートに 父の夢を家族全員でサポート 塩澤工芸

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[県境越える小さなファミリービジネス]

長女と長男が父の元で修業を始めた。次女と次男も後に続く考え

組子細工は、小さな木片だけで精密な模様を編み出す伝統技法。障子や欄間に施すのが一般的だが、長野県下伊那郡高森町で塩澤工芸を営む塩澤正信さん(44)は、組子細工をアートインテリア作品に昇華させ、第一人者として活躍している。目標は“塩澤組子”の世界発信。4人の子どもがその夢を後押しする。

塩澤さんは2001年に全国建具展示会で、最高賞の内閣総理大臣賞を史上最年少の27歳で受賞。その後、曲線を多用した作風を確立し、現在は独立したアート作品としての組子細工を手掛けている。

小学生の頃、建具職人だった父と見に行った全国建具展示会で精巧な組子細工に触れ、座り込んでしまうほどの衝撃を受けた。

「最年少受賞記録(当時28歳)は自分が塗り替える。組子を一般にも親しみやすいものにし、海外に発信する」というライフプランはこの日のうちに立て、入賞作品を参考に組子作りを続けてきた。

1年でも早く全国展に出品するため進学を拒み、中学卒業と同時に職人の世界に入るが、ここで思いがけない逆風が吹く。家業の建具店が倒産し、計画は大きく狂った。

のばして増やした特売のラーメンで空腹をごまかすどん底の3年間を経て建築会社に拾われ、2年後に協力業者として独立。中学の同級生と結婚し、子どもが生まれた。

この間、組子細工を忘れた日はなかったが、大工の力仕事と繊細な組子作りは両立が難しく、悩み抜いた末に「家族を養うため、大工に専念するしかない」と妻に打ち明けた。しかし、教室の隣の席で将来の夢を聞いてきた妻は認めない。

「何言っとるの?昔からの夢が捨てきれんのなら、やろうよ。腕はあるんだら?駄目なら大工に戻ればいいら」

最年少記録の27歳まで、あと2年―。背中を押された翌日、急造の工房を設けると、組子細工を施した衝立や屏風を作り、トラックで売り歩いて生活費を稼いだ。

がむしゃらな日々を過ごしていると、組子細工を全面に施した夏障子という、全国展出品にふさわしい大作の仕事が入った。

「力を最大限に出してみろ」と施主に励まされ、それまでに蓄えたアイデアと技法の全てを投入した夏障子は、15万3000もの部品が醸し出す繊細さが高く評価され、念願の最高賞を受賞。史上最年少記録を塗り替えた。

独自の曲げ技法を駆使した桜の花びら

アート作品の制作を始めたのは10年前から。住宅の洋風化が進む中、単に仕事を待つ受身の状態から、自ら発信する攻めに転じようと組子細工の額装を作り、地元で展覧会を開くと、3日で2000人が来場した。

その後、一つの出会いをきっかけに大都市の百貨店での展覧会が恒例化し、今では県外からのオーダーが仕事の大部分を占めている。独自の曲げ技法で作り上げた桜、山吹、藤の花びらは、一般の人が見てもそれと分かるのが特徴だ。

高森町の広域農道沿いに設けた展示場

「反面教師の側面もある」との思いから、子どもに跡継ぎの話はしてこなかったが「父の作品は世界に通用する。自分も手伝いたい」というのが4人の一致した考えだ。

長女(20)は、通訳兼職人として父の海外進出を手助けしようと、語学留学を経て塩澤工芸に就職。高校で建築を学んだ長男(18)も今春から父の元で修業を始めた。

商業科に進んだ高1の次女は会計面で、中3の次男は画力を生かし、下図で父を支えたいという。

子どもたちの思いに応え、さらなる飛躍を―と、高森町の広域農道沿いにこのほど設けた新工房には、念願の展示場を併設。塩澤ファミリーの人柄と作品の魅力に触れられる。

塩澤工芸
〒399-3101
長野県下伊那郡高森町山吹977
電話:0265(48)6047
FAX:0265(48)6048

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